鎌田信号機 Web Magazine
わが胸の夕日は沈まず

 第一話 1/3
第一章 内地編

永すぎた初年兵

昭和18年、私は28歳にして太平洋戦争に召集をうけた。配属先は四国丸亀西部38部隊の師団通信隊であった。

丸亀城を背景に、実に風光明媚なる環境抜群の地で、城頂からは瀬戸の海が一望できた。見渡す静かな青海原に島々が点々と浮かぶ美しい光景は、今も脳裏を離れない。

召集当日、私は招集令状を胸におさめ、堂々、

「男子の本懐これにすぐるはなし」

と、出征兵士の力強い挨拶をすることができた。

在郷軍人、国防婦人、その他老若男女の見送りの方々が日の丸の小旗を手に手にうち振って祝福して下さる中、『父よ貴方は強かった』『我が大君に召されたる』との勇ましい軍歌と、

「万歳!万歳!」

の歓呼の声に送られて出発。そして原隊丸亀に到着した。

各地より召集を受けた初年兵たちが奉公袋と大きな風呂敷包みを提げて庭営に集合し、各班に配属された。私は第2班で、新班員は約20余名であった。

見るもの聞くもの全てが珍しく、ただ呆然として、間抜けな表情をしていたにちがいない。だが、心の中では、

「日本陸軍の召集もいよいよ私に回ってきた。現役入隊はできなかったが、これでやっと面目がほどこせた」

との思いだった。

入隊の初日は意外と上官たちもやさしく、何かと親切に指導してくれた。だがどこからか噂が流れてきた。

「第2班の班長殿は中隊きっての鬼班長で有名な人だそうだ」

どんなに怖い人かと内心おじけながら顔を見た途端、

「ナルホド・・・」とうなづけた。そしてこの実感はまちがいでなかったことはやがてわかった。

班付の兵長殿より翌日からの班長当番の順番が発表され、私は7番目であった。当番の役目は、まず班長の朝、昼、夕の膳を運び、そして掃除洗濯をすることである。私は心の準備に努めることにした。

初日は何かと多忙で心身ともに落ちつかず、上官の話もうわのそらで、ただただ、

「ハイ、ハイ」

と答えていた。朝、昼、夕、3回の食事も早く食べてしまわないと人に遅れをとる。

わずか5分位で食べ終わらなければならない。

とにかく隊内では私たちの他は上官ばかりだが、どっちに向かっても絶対に欠礼することは許されない。初年兵だから敬礼はまことにお粗末で、そのつど古兵殿より注意をうけながら、1日に出会う100人以上もの上官に敬礼するのである。これはたいへんだと思った。

こうして初日は班長殿より隊内の案内、説明を聞きながらあっという間に時間が過ぎてしまった。

消灯ラッパを初めて聞いた。そして毛布袋のある狭いベッドに寝たが、めまぐるしい1日だったので、興奮してなかなか眠れるものではない。眼を瞑ってだいぶ時間がたってから、やっと、家に残してきた妻や3ヶ月になる長女のことを、

「今頃どうしているだろう」

と考える心の余裕が出てくるような状態だった。

この物語は鎌田信号機株式会社 創業者 故 鎌田大吉が平成7年に自費出版した戦争体験記「わが胸の夕日は沈まず」に基づいて掲載させていただきました。執筆については、当時の記憶や戦場での個人的体験を基に行いましたが、誤報の可能性や失礼な表現がある場合がございます。戦争中という特殊な状況下であった事につきご寛容いただきますようお願い申し上げます
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