鎌田信号機 Web Magazine
わが胸の夕日は沈まず

  第一話 3/3
第一章 内地編
大阪弁を使って泣き笑い 

班長室のドアーをノックする。ドアーは木製で非常に頑丈に出来ている。

私は大阪弁で

「班長殿、入ってもよろしゅうございますか」

何回も難解の言ったが班長殿には通じない。

ノックを強く何回か繰り返した。やっとのことで班長殿は

「よし入れ」

と言ってくれた。私はうれしかったので、入るなり、

「オーキニ、オーキニ」

と何回も言って頭をペコペコ下げた。
すると班長殿は大きな声で、

「馬鹿野郎!貴様まだ大阪弁を使うのか!」

と罵倒された。

私はこのとき情けなくなり、思わず泣けてきた。

「軍隊に来て泣く奴があるか!」

と、班長殿はまたしても気合を入れる。私は改めてビンタをいただいたのである。そして班長殿より『軍隊用語』を教えて貰った。

『入ってよくありますか』 『ありがたくあります』 『自分』 『キサマ』 『オレ』 『同期』

軍隊ではすべての言葉が「簡単明瞭」ということである。

せっかく教わったのだが、班長室を出るとき、思わず、

「ボク、只今より帰ります」

と言ってしまった。班長殿は今度は大笑いしながら、

「大阪弁をもう一度聞かせてくれ」

と言われた。これ以上馬鹿にされるのかと思うと悔しくて悔しくてたまらなかったが、班長殿は

「これから、わしの当番は、鎌田、お前が続けてやって欲しい」

と言われるのであった。

自分に何か恨みでもあるのかと全く班長殿の真意が解らなかったが、鬼班長殿も人の子ということだったのだろう。

班長が大笑いしながら冗談を言うのも初めて聞いた。その様子を見て、私は、

「しめた、班長殿の金玉を握る事ができた」

と思った。

少年時代から青年期にいたる十余年、大阪都心で生活し、小企業といえども会社勤めしてセールスの基本が身に付いている。世の中はすべてが誠意である。誠意によって人脈が生まれる。その私の誠意が鬼班長殿に通じたのだ。

その後、班長殿が時々冗談で私に話してくれた事は、今でもまことに懐かしく思えてならない。ただしそれは班長室で2人だけのときである。ある時などはお膳を持って行くと、班長殿は

「オーキニ、オーキニ」

と言われたものである。

ある日曜日の夜、12時頃であったかと思う。班長殿は一杯機嫌で班長室にもどって来た(帰ってくるまで自分は仮眠していた)。

さっそく班長室に入って行き、ゲートル、靴、靴下と脱がして、

「おやすみ下さい」

と言って退室したが、戦時下といえども班長殿は門限がないようで、すべて軍隊は上官につごう良く組織が出来ているものだなあーと感心せざるを得なかった。
(以下、班長殿の教えに従い、軍隊時代のことを綴った文章中での第一人称を「自分」とします)

第一話終わり

この物語は鎌田信号機株式会社 創業者 故 鎌田大吉が平成7年に自費出版した戦争体験記「わが胸の夕日は沈まず」に基づいて掲載させていただきました。執筆については、当時の記憶や戦場での個人的体験を基に行いましたが、誤報の可能性や失礼な表現がある場合がございます。戦争中という特殊な状況下であった事につきご寛容いただきますようお願い申し上げます
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