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わが胸の夕日は沈まず

  第二話 2/3
第一章 内地編
そんなある日、自分に対して最大の侮辱となる言葉をきいた。ある部隊の古兵が、

“通信兵が兵隊ならばトンボ蝶々も鳥のうち”

と言ったのである。最初、その意味がわからなかったが、わかった後には腹が立ってしかたがなかった。

当時世界最強と自負していたわが皇軍においては、

体力+精神力+愛国心=大和魂

の評価なのだと信じて自分は軍務に邁進していた。

にもかかわらず、日本陸軍の兵科の内で任務が比較的楽な存在が通信隊であるとの事をトンボ蝶々と表現したものである。

まったくけしからんと今でもなお憤慨している次第である。

我が通信隊の本領は、

「戦役の全期に渡り士気総帥の脈絡を成形し以て全軍戦勝の道を拓くにあり」

と教えられ、自分はいかに自分の任務と行動が重大であるかを十分に認識し、自負していたのである。

当時隊内では外地出兵の噂が頻繁に流れていたが、特に上官は防諜に留意しており、「流言飛語は厳禁」であった。

したがって初年兵は入隊後何か月間かは外出を許されない。

はるばる海を越えて大阪の地より妻子がやってきたが、外出できないので一度も会うことができなかった。古兵殿はさかんに外出している。

「ああ無情」

と言うべきこの軍隊の規則にはいきどおりさえ感じたものである。

入隊後何か月間か過ぎ去って冬が近づくと、隊内では木枯らしが強く吹いた。

ポプラの落ち葉もいたるところに散らばっていた。

徳島、剣山頂上は冬景色に美しく包まれているという話が耳に入るころになると、寒くて、毎日の掃除当番は身が縮まる思いであった。

この物語は鎌田信号機株式会社 創業者 故 鎌田大吉が平成7年に自費出版した戦争体験記「わが胸の夕日は沈まず」に基づいて掲載させていただきました。執筆については、当時の記憶や戦場での個人的体験を基に行いましたが、誤報の可能性や失礼な表現がある場合がございます。戦争中という特殊な状況下であった事につきご寛容いただきますようお願い申し上げます
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