鎌田信号機 Web Magazine
わが胸の夕日は沈まず

  第二話 3/3
第一章 内地編

夢を忘れて・・・・・ 

12月に入った。お正月が目睫の間に迫ってくると何となく世間もあわただしくなり、緊張感が満ちてきた記憶も残っている。

隊内には日章旗が燦然と輝きひるがえっている。また墨痕鮮やかに達筆で大書きされた白布が長く吊り下げられた。

『一億火の玉』

『欲しがりません勝つまでは』

『米英打ちてしやまん』

のスローガンは、皇軍の士気を大いに鼓舞するPRでもあったのだろう。
隊内放送では軍艦マーチが盛んに流れてくる。そして、

「我が皇軍は破竹の猛進撃を続けている」

「到る所連戦連勝である」

「外地に於いて日章旗が立ち並ぶ光景は見事であった」

等々の大本営発表が次々と流された。

ある日、ついに我が部隊に対して外地向(出兵)の動員令があった。

我が隊長は徳島県出身の中尉殿であった。自分と同県人なのでほのかな親しみを感じていたが、なかなかお傍に近づくことはできない人であった。

西部38部隊の出動に関して、各隊長−小隊−分隊および各班の組織構成と人事配置が行われた。

自分は幸いにも野戦地における無線班への配属となった。

ある日、隊長が一人の見習士官を紹介された。律儀感旺盛なる若いハンサムな士官殿で、その着任の挨拶と敬礼の姿勢がまことに素晴らしい限りで、いまだに印象が強く、記憶に残っている。
いよいよ懐かしく思い出深い丸亀連隊に別れを告げる日がやってきた。部隊の門出は夜間行動であった。

自分も悲壮なる決心を胸に秘めたものであった。もう二度と妻や子に会うことはできないであろう。

出征時の挨拶の中で、

「お国の為に尽忠報国の精神を持って征って参ります!」

とたくさんの見送りの人々に感動をこめて約束した。その約束をいよいよ果たす門出だった。

昭和19年1月11日夜、わが部隊に対して乗船命令があった。われわれは勇躍、門司港から野戦場に向けての輸送船「ベルギー丸」に乗船したのであった。

第二話 終わり
この物語は鎌田信号機株式会社 創業者 故 鎌田大吉が平成7年に自費出版した戦争体験記「わが胸の夕日は沈まず」に基づいて掲載させていただきました。執筆については、当時の記憶や戦場での個人的体験を基に行いましたが、誤報の可能性や失礼な表現がある場合がございます。戦争中という特殊な状況下であった事につきご寛容いただきますようお願い申し上げます
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