鎌田信号機 Web Magazine
わが胸の夕日は沈まず

  第五話 2/3
第二章 外地編
貴重品に「伏兵」が

この千人針にまつわるある出来事が当地(サイゴン市)で起きた。自分はあまりにも正直に約束を守り、妻より貰った千人針の腹巻を肌身離さずに着けていた。

ある夜のことでした。腹の周りにぶつぶつが沢山出来て、とてもかゆくてたまらない。何が原因なのか消灯中なのであったから分からず、朝まで辛抱した。

点呼をすませて千人針の腹巻をとってみると、なんとびっくり仰天、何百匹もの「伏兵」(シラミ)が巣を作っているのである。

当地サイゴンは炎天下約40度にもなり、日中の外出は厳禁されていたから「CRM」君は大陸的に悠々と成長していた。さっそく戦友たちに相談してみると俺も俺もとみんな同様の状況らしい。

内地から持ってきた奉公袋の中にハサミと木綿針と白黒の糸があった。その針利用して一匹づつ突きさして殺したが、能率が悪く手間どるばかりである。

自分たち初年兵に共通のこの悩みで、他の部隊の兵隊たちも一緒になり、毎日毎日「日向ぼっこ」をしながら伏兵退治に大多忙となった。

なぜ初年兵だけが伏兵に縁があるのか、自分はとても不思議に思ったが、よく聞いてみた結果、班長殿や古兵は腹巻をしていなかったことを知った。

自分たちは思案にくれた挙げ句、

「石川五右衛門釜の中」

の昔を忍びつつ朝早く外出してサイゴン市街をくまなく捜し求め、ようやく五升煮くらいの鍋を見つけた。そしてその晩、炊飯場に行って沸騰湯を鍋一杯もらい、この中にさっそく腹巻を漬けてみた。すると、伏兵は見事に全滅したものの、後に残骸の卵がたくさんくっついて離れず、やむなくまた木綿糸で一匹ずつ取ることになった。

このようにまったく予期せぬ苦労が初年兵たちをいじめるのであった。当地サイゴン市では前に述べた通り日中の外出が厳禁されていた。日射病にかかれば必ず死に至るからである。

またサイゴン兵站駐留地では水不足で苦労しており、自分たちは2ヶ月余りも入浴できなかった。だから身体が不潔であったので、伏兵が多く育ったのも無理のないことであった。

この物語は鎌田信号機株式会社 創業者 故 鎌田大吉が平成7年に自費出版した戦争体験記「わが胸の夕日は沈まず」に基づいて掲載させていただきました。執筆については、当時の記憶や戦場での個人的体験を基に行いましたが、誤報の可能性や失礼な表現がある場合がございます。戦争中という特殊な状況下であった事につきご寛容いただきますようお願い申し上げます
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