鎌田信号機 Web Magazine
わが胸の夕日は沈まず

  第五話 3/3
第二章 外地編
班長殿お許し下さい。お陰さまで「余は満足であった」

そうこうするうちにまたまた別の伏兵が現れた。局地的ジャングル中に潜伏する姑息な奴である。今度は鍋を利用するわけにはいかない、自分だけの悩みであった。これは戦友に相談するのも恥ずかしい。腹の周りのかゆさよりも、また格別のものであった。自分はこの新手の伏兵退治を考えた。今度の敵は見えないところに棲息する。

「ヨーシ」

と、まず奉公袋より早速ハサミを取り出して短く散髪をする。

そして第2段階として、班長殿の当番のとき、安全カミソリを利用することを思いついた。班長殿は誰であったか忘れたが、その持ち物である安全カミソリを無断拝借。膳は急げとばかりに根っこから毛剃りをした。そのお陰さまで伏兵は再度全滅したのであった。とても晴れやかな気分で

「余は満足であった」・・・・・。

この成果を他の初年兵たちに報告し、彼らのために自分は再度班長殿のカミソリを無断拝借した。こうして仲良し初年兵との共通の悩みを助け合って解決することができた。

しかし、入浴時にこうした処理をした局部をうっかり開放することのないよう、細心の注意が必要だった。これは当時としては絶対に秘密の行動であった。もし班長殿に知られたらおそらく半殺しの「ビンタ」をいただいていたことでしょう。南方作戦に将兵として参加された皆さんの中には、自分たちと同じような悩みで毎日苦痛を感ぜられた方もおられたのではないでしょうか。果たしてこれは秘密です。果たしてこれは秘密です!

日曜日ともなれば古兵殿の引率指導のもとにサイゴン市内をくまなく歩くのが最大の楽しみだった。フランス租界(治外法権の外人居留地)の街には高級住宅が建ち並ぶ。庭には小さなプールがあり、通りでは特に大きな高級車が目立った。

他の欧米人による各国租界もあり、色とりどりの国際都市としてそれぞれ美しい街造りであった。今では長期にわたったベトナム戦争の結果、昔のすばらしい街並の面影の片鱗もなくなっているのだろうか・・・・・。

サイゴン滞在55日間。花の都、平和な街、そして安南人の真心は、自分の生涯の良き思い出として脳裏を去ることはないだろう。苦しく厳しい戦時下にありながらの、唯一の小さな楽しいこの一時期を、今も折にふれ懐かしく思い出している。

同年3月22日、南方総軍司令部命令により、われわれはいよいよサイゴンを出港し、主戦場であるフィリピンめざし堂々と勇ましく進行していった。

第五話終わり

この物語は鎌田信号機株式会社 創業者 故 鎌田大吉が平成7年に自費出版した戦争体験記「わが胸の夕日は沈まず」に基づいて掲載させていただきました。執筆については、当時の記憶や戦場での個人的体験を基に行いましたが、誤報の可能性や失礼な表現がある場合がございます。戦争中という特殊な状況下であった事につきご寛容いただきますようお願い申し上げます
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