内地に帰って初めて、自分は他人から復員兵としてねぎらわれたのである。その初めての言葉は今でも忘れることはできません。おばあさんは、手ぬぐいで頬かむりしていたのですが、その手ぬぐいを取りながら、私の姿を見て、
「兵隊さんご苦労さんでしたなー」
その言葉で、自分の戦地での苦労も吹っ飛んでしまったのであった。
疎開していた妻は子供をつれて、近くの「明石家」というだんご屋で、今でいうパートとして働いていたのでした。私がその住居である長屋へ着くなり、近所の人がさっそく妻子に「父帰る」の連絡をしてくれた。
3年余りぶりのお互いに死戦を越えた親子の対面は、何と言ってよいか只、絶句するばかりであった。妻は、
「よく生きて帰れたなー」。
と私の両手を固く握りしめてくれた。その瞬間、何の言葉も出ずに涙が出て止まらなかったのであった。
私はそれから急に体調が悪くなり、布団に横たわった。マラリアの発病で、私は姫路城の近くにある陸軍病院に救急車で運ばれた。妻子は病院まで同乗していたのでした。
この病院で、マラリアと栄養失調を回復するには約4か月かかると知らされた。妻は
「このさいゆっくり養生して、元気になってから今後の事は考えたらいいでしょう」
と言ってくれた。
妻は再度加古川橋西詰めにある明石屋のだんご店にて根かぎり働き、私の元気な退院を待ってくれた。よくぞ銃後の守りを果たしてくれたと、ただただ感激と感謝の念を新たにするものであります。