鎌田信号機 Web Magazine
わが胸の夕日は沈まず

  第三話 1/3
第二章 外地編

仏領印度支那サイゴン 平和を偲ぶ詩

作詞:鎌田大吉

(一)
ここはベトナムホーチミン 昔の面影さがしつつ
地名の変わった街並みを 心の景色で見て歩く

(二)
手に手に飾る旗の波 平和進駐の幸せを
かみしめながら幾星霜 夢みることも幾度か

(三)
ああ若き日の戦場よ 安南人に支えられ
恵まれた兵は幾十万 心をこめてありがとう

海行かば

昭和19年1月11日に、わが部隊は門司港に集結している南方派遣輸送船団のベルギー丸(約5千トン)に乗船した。

久留米部隊のほか混成部隊の約三千名の将兵弾薬・糧秣等を満載した輸送船団十数隻は両サイドを護衛艦数隻に見守られながら南方をめざして雄々しく航海を続けたのである。

1月中旬、台湾に接近するや船内は約40度近くにも温度が上昇し、将兵たちはパンツやフンドシ1枚で暑さとの戦いが始まり、みんな裸の大将といったところであった。

船内で一人一人に与えられている場は蚕棚のような半畳くらいの所で、中腰でないと頭がつかえ、海老寝がやっとできる程度のスペースである。

上段にいる兵隊の汗が中段に、そして下段にいる自分たちの体にもポタポタ落ちてくる。蒸し風呂のような熱気で、また悪臭がひどいものだった。

そんな航海を約1週間くらい続け、台湾の高雄港に無事到着する。部隊命令により下船し、直ちに岸壁埠頭で水浴の許可があり、一行は脂汗まみれた身体の洗濯ができ、やっと人間らしい感覚に戻ったのであった。

その後、高雄神社に武運長久の祈願をし、報国の誠を捧げる。部隊は再度乗船命令のもとに待機状態に入った。

この物語は鎌田信号機株式会社 創業者 故 鎌田大吉が平成7年に自費出版した戦争体験記「わが胸の夕日は沈まず」に基づいて掲載させていただきました。執筆については、当時の記憶や戦場での個人的体験を基に行いましたが、誤報の可能性や失礼な表現がある場合がございます。戦争中という特殊な状況下であった事につきご寛容いただきますようお願い申し上げます
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