鎌田信号機 Web Magazine
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第三話 3/3 |
第二章 外地編
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真夜中になると周囲はスクリューの大きな音、荒波が船体にぶつかる音でまったく生き地獄そのものであった。 |
米潜水艦は潜望鏡を海面に出さないで行動していた。 |
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日露戦争の昔を思う。名将ともいうべき東郷平八郎元師の戦略は、功より防(待)、であった。当時のロシアのバルチック大艦隊38隻を日本海に侵入させた日本海軍は待防戦略をもって功を奏し、大勝利を得た。このことは明治、大正生まれの人にはいまだに脳裏に残っていることでしょう。 |
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第三話終わり |
この物語は鎌田信号機株式会社 創業者 故 鎌田大吉が平成7年に自費出版した戦争体験記「わが胸の夕日は沈まず」に基づいて掲載させていただきました。執筆については、当時の記憶や戦場での個人的体験を基に行いましたが、誤報の可能性や失礼な表現がある場合がございます。戦争中という特殊な状況下であった事につきご寛容いただきますようお願い申し上げます。 |
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