鎌田信号機 Web Magazine
わが胸の夕日は沈まず

  第三話 3/3
第二章 外地編
真夜中になると周囲はスクリューの大きな音、荒波が船体にぶつかる音でまったく生き地獄そのものであった。

非常時には船内の司令部より緊急サイレンが鳴り響くことになっており、その回数によって内容がことなってくる。

1. 敵潜より魚雷命中!全員海中に飛び込め!
(航海中は全員救命衣着用が義務付けられていた。)

2. 敵機発見!

3. 敵艦発見!

米潜水艦は潜望鏡を海面に出さないで行動していた。

それはわが潜水艦の科学技術との優劣の差を物語るものであり、この戦略の差がすべての面で戦争の勝敗に繋がる大きな要因であったことを今更ながら痛感する。

わが船団は昼夜をとわず対潜監視隊員が数十名の編成で交代制をとって勤務していた。

今思うと幼稚で馬鹿げたことだった。米潜は電波探知機や音波探知機によってわが方の行動を明確にキャッチする。昼間は動きをともにし、夜間になると魚雷発射!命中率100パーセントとなる。たまったものではない。

日露戦争の昔を思う。名将ともいうべき東郷平八郎元師の戦略は、功より防(待)、であった。当時のロシアのバルチック大艦隊38隻を日本海に侵入させた日本海軍は待防戦略をもって功を奏し、大勝利を得た。このことは明治、大正生まれの人にはいまだに脳裏に残っていることでしょう。

「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」との名文を旗艦三笠より発信し、将兵の士気を大いに高揚させたことはご存知のことでしょう。

話は横道にそれたが・・・・・。不安に満ち満ちた航海の末、わがベルギー丸は仏印メコン河サイゴン埠頭に1月29日錨を降ろした。

自分たちは死の航海の苦しさからやっと開放されたのであった。

第三話終わり

この物語は鎌田信号機株式会社 創業者 故 鎌田大吉が平成7年に自費出版した戦争体験記「わが胸の夕日は沈まず」に基づいて掲載させていただきました。執筆については、当時の記憶や戦場での個人的体験を基に行いましたが、誤報の可能性や失礼な表現がある場合がございます。戦争中という特殊な状況下であった事につきご寛容いただきますようお願い申し上げます
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