鎌田信号機 Web Magazine
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第六話 1/2 |
第三章 決死編
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サイゴンよさようなら
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と連呼で答えた。お互いに心が通じ合ったというその実感は、異国の地で燃えた友情であり、人間の尊い「ドラマ」でもあった。 |
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各部隊は次々と上陸し、われわれは旅団通信隊に編入され、レイテ島のタクロバン地区に進駐すべく準備待機中の本隊とともに公園植込樹間に天幕を張り野営した。その間わが部隊はレイテ島作戦のため準備におおわらわであったが、突然、作戦命令の変更が伝えられた。
これは「生か死か」の分かれ目であった。自分たちは幸運にも「レイテ島」の土を踏むことはなかった。 |
4月5日付の命令変更でビコール地区警備中の京都第16師団の精鋭甲装備の垣部隊長と交替となった。 翌朝マニラ港を見てまず驚いたことは、かつて威容を誇った日本帝国海軍艦隊の姿を一隻も見ることができないことであった。この南方の重要基地の情況がうそのようにあまりにも寂しく、一抹の不安を感ぜざるを得なかった。 また、港湾を見渡すとマニラ攻略作戦がいかに壮絶であったかを物語る痕跡が多く、海岸通りに点々としてそびえ立つヤシの大木が目立っていた。 |
この物語は鎌田信号機株式会社 創業者 故 鎌田大吉が平成7年に自費出版した戦争体験記「わが胸の夕日は沈まず」に基づいて掲載させていただきました。執筆については、当時の記憶や戦場での個人的体験を基に行いましたが、誤報の可能性や失礼な表現がある場合がございます。戦争中という特殊な状況下であった事につきご寛容いただきますようお願い申し上げます。 |
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