わが部隊はバレテ峠を越えて、サンタフェ(マニラより216.5キロメートル)、アリタオ(237キロメートル)、北バンバン(252キロメートル)、馬頭橋(バトベリ橋、マガット川)、バヨンボン、ボンファル(在留邦人、約2千人集結地として自活する)、ソラノ(273キロメートル)、モロンと移動した。マニラからの夜行軍の行程は約280キロメートル、部隊はようやくにして、モロンの部落に一応駐屯することができた。その月日は2月4日頃であったが、こういうことになろうとはまったく想像もできなかった。
モロンにて駐在すること約120日間であったが、当時個人による自給自足生活が始まった。中隊給与から分隊給与、個人給与と当時軍需物資の糧秣はまったく欠乏していた。自給自足以外には道はない。
モロンの道端に野草が生えていた。日本のヨモギ草でしょうか湯掻いて喰べることができたが何の栄養にもならない。味付けは塩がないため現地のトウガラシを使ったが、自分はトウガラシは絶対駄目だった。
隊たちが2〜3人で協力して、現地の水田に稲穂が所々残っていたのを見つけて、臍(へそ)ぐらいの泥濘の田圃に入って一握りの稲穂を持ち帰ったりした。初年兵同士が鉄帽でついてみると何勺かあったようだが、とても飯盒にて炊くほどでなく、生米としてかじって食べたのであった。