「米がある、米がある」
と言ってほんの僅かな稲穂を持ち帰る。
その瞬間に、米軍機4機であったか自分たちの方に向かってきた。もう生きた心地は全然なかった。敵機が自分たちの田圃めがけて機銃掃射してきた。思わず田圃の中にうずくまり鉄帽だけ出して、敵機が去るのを待った。身体全体が泥まみれになったが、命拾いができた。
「くわばら、くわばら」
と心底ほっとして胸をなで下ろしたものである。
3人が採った稲穂を集めたが、鉄帽の中の籾は、ほんの一握り程しかなかった。飯盒で炊くほどはないので、生米のままかじって食べたが腹をこわし、激しい下痢の連続であった。栄養失調という身体をどうすることもできず、毎日毎日が生き残るのに精一杯であった。しかし、上官に対しては自分の食べる物を分けあって食べるのが初年兵の任務であった。また、戦場という人間の最悪条件であり、悲運の境地でもあったのである。
ある日、モロンに大空襲があった。その瞬間、恐怖のどん底であった。敵機は何分間か低空飛行で椰子林すれすれに飛び、縦横無尽に乱舞する。タコツボに隠れることが、その日の延命策であった。しかしいざ爆弾投下となれば、タコツボに入っていても至近弾の爆風で身体は吹き飛ぶ。自分たちの運命は、毎回、防空壕の選定により決するのであった。
ある日、戦友の一等兵は、自分の定めの壕に入ってついに戦死をとげた。「名誉の戦死」も瞬間的な出来事にすぎず、運命の非情さを思い知らされた。