部隊は昼間の行軍は絶対できなかった。夜行軍のみで、道なき道をできる限り歩く、暗闇の行進であった。米軍の攻撃の的にならないように夜行軍をすることは、誇り高き日本軍としてはまことに不本意にして哀れなる行動と言わざるを得なかった。
ある時、自分はまたまた下痢のため草むらに帯剣を取って用便した。そのあとで、そばに置いたはずの帯剣が鳥目のせいかいくら探しても見つからなかった。そのため何十分間か、部隊より遅れてしまった。
自分は、戦陣訓の教えに反して兵器を紛失したり、粗末にした者は重営倉入りが当然であり、また軍人として失格であると信じていた。だから帯剣をなくした責任は重大であると思い、必死の覚悟であった。おめおめと部隊に復帰することはとうていできないと考えた。
遠方で轟々と米軍の戦車の音が聞こえてきた。よし、自分は帯剣を紛失したのでこの場で死んでもよいと考えた。その時、救いの神、本兵長殿が、
「鎌田よ!鎌田よ!」
と何回も呼んでくれた。自分はすぐに答えられなかった。おそらく何十回目に、
「ハイ」
と答えた。班長殿は、
「何をしとるか。早くこちらへこい」
と大声で呼ぶのであった。米軍の戦車はこの道へ来るのだ。それを避けるために北へ北へと転進していたのである。その時天運か、後にも先にも絶対来ない友軍の貨物自動車が通りかかった。
瀬戸本兵長は手を上げて止めた。自分も便乗させられ、すでに何十分か遅れていた部隊に辛うじて復帰することができた。