鎌田信号機 Web Magazine
わが胸の夕日は沈まず

  第十三話 1/2
第三章 決死編

餓死か玉砕か?

7月18日、(日本名)三軒家に到着した。だがもうおそらく三軒家にての駐屯も1ヶ月はもたないだろうと考えた。兵隊たちは2週間も野草以外何も食べていない。上官たちも同じであり、ただ道端の野草を採って湯がいて食べるだけだ。
塩もなければ何の味気もない。現地の唐辛子はあったが、これは自分にはまったく食べられなかった。

雨水を貯めたのが土民の家の瓶に若干あったが、ボーフラがわいている。湯にして呑むにもかんじんのマッチやライターがない。お日さんが照れば、ある班長所有の貴重品である高性能のレンズを使用して紙を燃焼させ、枯れ木に点火火種をつくるのであった。雨が降ればレンズも何の役にも立たなかった。

部隊の将兵は、「ニッパ小屋」に寝ころんでいるばかりで、指揮統帥の命令はまったくなく、いわば毎日毎日が自由行動そのものであった。兵隊たちは毎日何か食物がないかと右往左往して、自分の体力の消耗もわからないありさまだった。

米軍機による終戦のビラ散布

晴天で静かなある朝、三軒家上空に米軍観測機が一機現われた。それはなにか不思議な予感に似た感じをわれわれに抱かせるものだった。搭乗員の顔が見えるほど、観測機は高度を下げてくる。そして拡声器から流暢な日本語が流れてきた。

「戦争は終わった。日本は無条件降伏した」

声とともにビラがたくさん降ってきた。この「日本軍降伏」を告げるビラは北部山岳地帯一面に散布されたが、わが将兵たちは、誰ひとりとしてこれを信ずることはできなかった。

その日は米軍の攻撃はなく、静かな一日であった。

8月20日、将軍から師団長あてに次のような要旨の電報があった。

「戦争はかくして終わった。武運つたなく、各位殿のご健闘に対してまことに恥ずかしい事に思う。余はいかなる事があっても、各位のご健闘を祈るものである。終わりに臨み、ご協力に対して深甚なる謝意を表す」

米軍機からは「投降せよ」とのビラがばらまかれた。われわれは、

「いよいよこれは真実だなー」

と感じた。

将兵たちは、

「ああ無念、残念。なで天皇陛下が、無条件降伏したのか」

と疑問に思ったが、北部ルソン山岳戦場では何がどうなっているのかくわしいことは何もわからなかった。

この物語は鎌田信号機株式会社 創業者 故 鎌田大吉が平成7年に自費出版した戦争体験記「わが胸の夕日は沈まず」に基づいて掲載させていただきました。執筆については、当時の記憶や戦場での個人的体験を基に行いましたが、誤報の可能性や失礼な表現がある場合がございます。戦争中という特殊な状況下であった事につきご寛容いただきますようお願い申し上げます
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