鎌田信号機 Web Magazine
わが胸の夕日は沈まず

  第十四話 2/2
第三章 決死編

敗戦という汚名

敗戦という結果は日本軍として最悪であり最劣であった。開闢以来の日本の歴史を紐解けば、天の岩戸が開き、天照大神によって、

「この國はわが子孫の君たるべき地なり、汝皇孫行きて治めよ、皇威の栄えまさんことと、天壌と共に極まりなかるべし」

との神勅を受けて日向の國に天孫降臨した瓊々杵(ににぎ)の尊(みこと)の曽孫神武天皇より皇統連綿として、外敵から一度も侮りを受けることなく、日本はじつに世界に誇る尊厳なる神国ともいうべき国体であった。明治維新より日清・日露・日独(第一欧州大戦・満州事変)・支那事変と約十年間おきに日本は戦争を行なって、そのつど日本皇軍は連戦連勝し、アジアの国々を占領してしまった。

しかし太平洋戦争では、世界の最強国である米国・英国・ソ連をはじめとする国々を相手に戦ったのだから、敗戦となるのは当然すぎるほど当然だった。まことに馬鹿な戦争をやったものだと世界の人のもの笑いの種となり、その結果、第三等国民として国民の誇りはまったく地に落ちた。

収容所内の乞食同様の生活

天幕を設置した収容所で、400〜500名の日本兵が捕虜生活を営むこととなった。朝・昼・夕方と一応三度の食事があり、このときは長蛇の列で順番待ちをする。食器はアルミの浅い楕円形の容れ物で、手杓が付いていた。食事の内容は、シャブシャブのおかゆが大匙十杯くらいだった。三度三度がこれで、自分はいつも腹がペコペコであった。

朝6時ごろ起こされる。使役指導をする黒人兵が、鞭を手に、

「ハローハロー!レッツゴー!ハロー!レッツゴー!」

と大声でわれわれを牛馬のごとく追いたて、使役現場まで急がせるのである。

使役は、溝掃除なら溝掃除を一日中やる。草むしりは一日中草むしりをする。地ラックへの荷物の積降ろしの場合も一日中である。何か仕事を捕虜たちに与え、その代償として食事を与えるという考え方である。幕舎では日本人は将校・下士官・兵隊と分けられており、兵隊は最も過酷な労働をさせられ、まったく乞食同様に扱われたものである。

作業中の休憩時間、黒人の兵士たちは自分の食べさしのパンをその辺に投げ捨てる。また、煙草の吸いさしや、米兵たちの毎日食べている常食の中から色々なものを日本人捕虜に対して投げ捨てては、その反応を見て大いに喜ぶ。捕虜たちはそれをわれさきにと奪い合い、犬畜生同然であった。「衣食たりて礼節を知る」。日本軍人の最も尊い人格は地に落ちてしまった。

毎日が日本人捕虜に対しての数限りない侮辱の連続だった。とにかく戦争は勝利を得ることだとつくづく思った。

より多くの人間を殺し、より多くの物を破壊した方が勝者となり、「勝てば官軍、負ければ賊軍」である。これは日本の歴史でもくりかえされている。日本では昔から、天皇制を中心とする大義名分を表向きにかかげて、武将たちが戦いをくりかえしたのである。

第十四話おわり

この物語は鎌田信号機株式会社 創業者 故 鎌田大吉が平成7年に自費出版した戦争体験記「わが胸の夕日は沈まず」に基づいて掲載させていただきました。執筆については、当時の記憶や戦場での個人的体験を基に行いましたが、誤報の可能性や失礼な表現がある場合がございます。戦争中という特殊な状況下であった事につきご寛容いただきますようお願い申し上げます
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